代表の太田でございます。
今までインスタグラムのみ時計の紹介を発信させていただいておりましたが、自社ホームページ上でも様々な事柄をテーマに発信させていただきます。
ご拝読いただけますと幸いでございます。
正規ディーラーにて長く勤めさせていただいた経験による正しい知識を少しでも多くの方に伝達させていただければと考えております。
初回のテーマはPATEK PHILIPPEでございます。
私が最も縁深く愛情を感じているウォッチメーカーでございますが、
皆様にも広く認知いただいている世界最高のウォッチメーカーかと存じます。
私自身、正しくメーカーのプログラムに則った教育を受けさせていただくまでは、
人伝で魅力を聞いていただけでその多くは“オーラがある”とか“品格がある”の様な漠然として、抽象的な表現ばかりで、結局何が凄いのかを明確に知ることはございませんでした。
もちろん、現在はメーカー公式に10の価値(テンバリュー)にて皆様に広く知れる情報はございますが、私の考えるPATEK PHILIPPEの世界最高たる所以とは、
『歴史』『実績』『開発』『芸術』『規模』の5つのキーワードにて分類されます。
下記にて、その中のあくまでも一端に過ぎませんが、ご紹介させていただきます。
まず『歴史』と『実績』に関しては、上記の10の価値と同様に詳細は公式書物に記載されておりますが、Ref.96の1932年以降の全ての型式の論拠となる蓄積データが保管されていて、それをディテールと共に照合可能なシステムを持っているウォッチメーカーは他に存在しておりません。また、アーカイブの発行は他メーカーでもございますが、
PATEK PHILIPPEの提供する情報量は最多でございます。
実際に1950年代のメンテナンス履歴を明記される程の情報の蓄積と管理が徹底されております。また、過去製品の市場における確かな高評価を受けた実績がございます。
ジェームズ・ウォード・パッカードやヘンリー・グレーブス・ジュニアへの懐中時計から
1940年代にシリーズ生産が始まってからの名機の数々が今尚、廃れることなく高い評価を受けております。Ref.130、Ref.530、Ref.1415、Ref.1436、Ref.1463、Ref.1518、Ref.1579、Ref.1593、Ref.2499、Ref.2526、Ref.3424等は特に市場価値が高いモデルでございます。
近代のモデルはこれからの評価となりますが、既に製造約70年以上を経たモデルは、
既に成熟された市場実績を持っております。
この積み重ねられた長期に渡っての掛け替えのない市場実績はPATEK PHILIPPEの
大いなる強みであり、資本力だけのメーカーでは到底真似の出来ない域にございます。
“歴史や実績は金では買えない”のでございます。
『開発』でございますが、飽くなき“探求”ともいうべき技術革新や向上への執念が根底にございまして、それは調速機構や脱進機構の探求、研究、発明機関としての一面もございます。
調速機構のテンワの往復運動における最適解を導き出す為の研究の為のテンワの巨大模型を製作していたエピソードもございます。
技術革新の推進がジュネーブシールから自社規格への切り替えの一つの要因でもございますが、2005年から始まったアドバンストリサーチは顧客参加型のプロジェクトで、さらなるハイテク素材や新機構をもって製造技術向上と発展に寄与する為のもので、
貪欲で情熱を内包された未来を見据えた探究機関も兼備しているのは他メーカーではございません。これはムーブメントが新機構なだけではなく、外装デザインも革新的で、
顧客へ販売も行ない、ビジネス的な側面も含めたアプローチが巧みでございます。
『芸術』でございますが、こちらも機械構造と同様に工芸技術を絶やさない為の
技術レベルの保持という側面がございます。彫金、エナメル、宝石を扱う職人は、
純粋な時計職人とは全く別次元の技術を要します。機械構造の様に設計図はございませんので、いわゆる言語化が困難な工芸美術の世界は親方から弟子への直接作業からの継承でしか成立致しません。極めてアナログな類の技術でございます。
その工芸技術を至高のレベルを腕時計で最も視覚的に判断されるのは文字盤でございますが、スターン家がPATEK PHILIPPE創業家から経営権を譲渡される前は、
スターン兄弟文字盤製作所という主要なサプライヤーでございまして、
元々、文字盤製作の専門家であった事もあり、文字盤製作技術に対する並々ならぬ情熱と実績がございました。
現在の製造拠点も文字盤専門の大型工場(並のメーカーの全行程を行なう社屋に匹敵)を所有しております。
2019年からはレアハンドクラフトモデル製作に特化した第2工場をジュネーブ郊外の
本拠地プラン・レ・ワットに建てて、稼働しております。
最後に『規模』でございますが、上記の文字盤製作専門の工場を含めて、
本拠地プラン・レ・ワットの第一、第二工場と全ての勤務している職人及びスタッフの
総人数は約1500人を超えます。一流と呼べるマニュファクチュール(同じ社屋で全行程一貫製造)のメーカー規模で700~800人なので、ほぼ倍の人員を掛けて、
各セクションでの分業にて製造を行なっております。
文字盤以外の外装パーツ(ケース、リューズ、針、バックル)は当然ながら、
真骨頂はムーブメントの構成パーツで例えば輪列に組まれる歯車の一点一点の凹凸部分を
設計図通りに寸分違わぬサイズで切削及び研磨しているかどうかの現品突合せ検査を行なっております。このムーブメントの極小パーツに対しての手間と労力は他メーカー規模では不可能でございます。
グランドコンプリケーションの時計師は10人前後の精鋭部隊で構成されておりまして、
基本的に一人が一台を組み立てるという形を取ります。
そして、最後に私が敬愛する偉大なフィリップ・スターン名誉会長について、
昨年で御年85歳になられましたが、1993年に社長に就任されて
現在のプラン・レ・ワット本社工場への移転や
PATEK PHILIPPEミュージアムの設立等の多大な功績を残された方ですが、
社長就任以前の創業150周年よりさらに前の1970年代、80年代はスイス時計業界にとっては、クォーツショックによる混迷を極め、新しい価値観が生まれる激動の時代の中で、
フィリップ会長が、30歳~40歳代の青年期に実質的に組織を指揮していた時の情熱という熱量は凄まじいものであったと想像出来ます。
この強固なブレない信念というもので築き上げてこられました製造実績、
ノーチラスやCal.240を創作し、Ref.3940、Ref.3974を製作して、創業150周年を
迎えていく為の準備を進めていくというところですが、この時期に現在のパテックフィリップまでの道筋が決まったと申し上げても過言では無いのではないでしょうか。
そして何よりもブランドの価値を明文化して、社内外に掲げて浸透させた事こそが、
現在の世界最高としての地位まで牽引された最大の功績ではと個人的に考えます。
その様な難しい時代を乗り越えてブランドを大きくされたフィリップ会長の人物像は、
決断力、推進力、胆力、そして柔軟な対応力、それに伴う社内外での影響力と稀代の伝説的な辣腕を振るった経営者ではございますが、私は幸運にも2014年の創業175周年記念イベントを明治神宮外苑で実施されたガラパーティの会場にて、日本のお祭り仕様の粋な演出で赤い法被を羽織られて、お一人で会場の片隅で佇んでいる際に話し掛けさせていただき、2ショット写真を撮らせていただきました。その時の印象は上記の様な豪胆な仕事を成し遂げてこられた方とは想像も出来ない程にとても優しい面持ちで、親近感の有る柔らかい印象を持ちました。
何か二言三言のやり取りをした気が致しますが、あまりに私が夢見心地の昇天した状態でしたので、内容は全く覚えておりません(笑)
真に心の強い人間にしか出せない柔らかさと優しき愛情溢れるお人柄と感じております。
私自身が人生に多大な影響を感じておりますが、
究極のシンプルモデルであるカラトラバを常々ご紹介する際に“Less is More” 『少ない方が豊かである』の象徴と申し上げておりますが、フィリップ会長はそのフィロソフィーを地で具現化されてこられた方であると考えます。
過去の完成度の高い製品は、ビンテージとして恒久不変の概念で価値が廃れる事はございません。その様なフィリップ会長が指揮されて生み出された1970年代~2009年頃までの
数々のマスターピースの魅力を伝達者の一人として皆様に少しでもお伝えさせていただく所存でございます。